開園当時の遊園の世界!

開園当時にタイムスリップ!「向ヶ丘遊園地」へようこそ!!
↓ごゆっくりと、お楽しみください↓

  ご挨拶  

向ヶ丘遊園にご来園いただき誠にありがとうございます。
当遊園地は、今年の4月1日(1927年)に皆様の憩いの場として開園いたしました。
その後、交通の便をはかるために、「稲田登戸駅」からの「向ヶ丘遊園地」まで
「豆汽車」が開通いたしましたのでご案内申し上げます。
当園には、「桜約1万本」「かえで」「つつじ」などの樹木が豊富で、春には満開の桜が見ることができます。
他にも「運動施設」「かわら投げ」「猿小屋」などがございますので、「無料休憩所」も含め、自然の中で、御寛ぎくださいませ。

豆汽車(1927年6月)

「稲田登戸駅」‐「向ヶ丘遊園正門」‐「向ヶ丘遊園裏門」まで、皆様をご案内申し上げる「豆汽車」の軌道です。
「二ケ領用水」に沿って、約1キロを走っています。
開園から二ヶ月たって今月に開通いたしました。
線路は単線で、「豆汽車」はガソリンエンジンで走ります。
客車は、七両を牽引し、定員は子供単位で168人です。

正門から入園お待ちしております

この写真は、正門(現代では稲生橋付近)の「来園者方」の様子です。
登っていった所に「西門」があります。

鶴橋

「豆汽車」を下車してから「裏門(現代の正門)」に向かう橋です。
府中街道を横断するための橋で、木製で出来ています。
正式名は「鶴橋」といいますが、人によっては、「赤い橋」と呼ばれる方もいらっしゃるようです。
「鶴橋」の「鶴」とは、小田急電鉄の初代社長「利光鶴松氏」の名の一字をとったという説が、有力です。

猿小屋

「向ヶ丘遊園」の一番奥には、「猿小屋」があり、4-5匹の「日本猿」をみることができます。
管理はお隣の「花の茶屋」が行っています。

向ヶ丘稲荷(稲荷神社)

「向ヶ丘遊園」の中央にあるのが、「向ヶ丘稲荷」です。
この「稲荷」には、下記のような言い伝えがあります。

正門から杉山道を登った中腹の曲がり角に湧水があり、それを園内居住者は飲料水に使っていました。
初夏のある夜、水を汲みに行った某氏は親子のキツネが水を飲んでいるのを見つけ、持っていた棒でなぐり殺してしまったのです。
そのためかどうかまもなく某氏は変死し、あれはキツネのたたりだという噂がひろがり、
夜になると悲しそうなキツネのなき声が聞こえてくるという噂がたってしまいました。
そこで園内居住者は、何とかキツネの供養をしなくてはと相談していた所、
たまたま近くに住む方が転居するにあたり邸内にあった稲荷の処分に困っているのを知り、
これをゆずり受け供養することにしたのです。

「120畳の無料休憩所」と「御休息所売店・まいずるや(舞鶴屋)

記念碑

小田急の初代社長・利光鶴松翁が建立した記念碑です。

これは、小田急線開通直後、秩父宮、高松宮殿下
ほか皇族方のご乗車を賜ったことを記念すると共に、今上陛下の御即位御大典を奉祝して建てられました。

現在はそれゆけトーマスの近くにありますが、
当時はイベント館付近にありました。

(なぜ?カラー写真???今は1927年なのに)

かわらけ(土器)投げ

「かわらけ投げ」は、西門付近にあります。
尾根から「雪ヶ坂」の谷間にむけて、「かわらけ(土器)」投げるもので、最長150メートル
の地点に紅白の旗を、50メートルごとに白旗を立て、投てきの距離を競ります。

「かわらけ」は5枚1組で5銭となっております。

150メートルの紅白の旗まで届くと景品がもらえます。奮って挑戦してみてください。

日本映画俳優学校

遊園内の府中県道沿いの部分に「日本映画俳優学校」があります。昭和3年(1928年)1月
に開設され、撮影所や関係者の宿舎も伴設されています。

卒業生の中には、上原謙、佐野周二、佐分利信 各氏などがいそうな気がします??
変な表現となってしまいました・・・前後が分からないもので。

ローラースケート・テニスコート

「ローラースケート場」
東門駐車場の北側奥にあります。一周50メートル、幅4メートルの大きさで、小中学生が対象です。
貸しローラー代金は、30分10銭となっております。

「テニスコート」
「ローラースケート場」に隣接しています。コートは一面しかありません。