豆電車

無邪気にはしゃぐ子供たちを遊園地まで送り、また遊び疲れて戻ってきた子供たちを安全に
最寄りの鉄道線の駅まで送り届ける…
そんな遊園地のアトラクションの一つのような存在感を持っていた乗り物。
「それって小田急向ヶ丘遊園駅まで走ってたモノレールでしょ!?」
大体の方はそう言うと思いますが…

そんなモノレールより前に活躍していた「豆電車」についてお話していきたいと思います。

当HP過去の特集、【いろいろ企画】の「豆汽車・豆電車のお話」
でも豆電車を紹介していますが、こちらのページでは更に掘り下げてまとめてみました。

向ケ丘遊園モノレールは昭和41年に開通し、閉園1年前の平成13年まで運用されていました。
ですが…もっと昔、このモノレールが開通する以前に同じルートを蓄電池式の豆電車が走っていました。

【豆電車】

◆開通:昭和25年3月◆
◆廃止:昭和40年5月◆
◆敷設距離:約1キロ◆単線(一部複線)◆
◆「二ヶ領用水」沿いを7両の客車を牽引◆
◆蓄電池式◆
◆編成定員:子供210人(1客車30人)◆
※閑散時には3両編成に減車
◆所要時間7分◆

豆電車の乗車券

この豆電車が登場以前にはガソリンエンジン式の豆汽車が走っていましたが
そちらについては【いろいろ企画】の「豆汽車・豆電車のお話」
にて紹介しております。

昭和2年から走っていた豆汽車の路盤を引継ぎ、戦後の昭和25年3月25日に復活したのがこの「豆電車」です。

線路は、戦前と同じ単線でしたが、来園者が増えてゆく中で輸送力の増強に伴い
区間の中間地点にポイントを設けて「向ヶ丘遊園駅」と「遊園正門」から
同時に発車しても交換できるようになっていました。
画像:朝日新聞

当時の「二ヶ領用水」に沿った、桜木のトンネルをとおる
「豆電車」の姿はとても素晴らしいものだったと聞いています。

今では開発が進み建物が建ち並んでいます。
この写真からは昔、遊園周辺は何も無かったことがうかがえますね。

ピーク時には、線路に沿って歩く来園者も多く、花見シーズンの電車への飛び乗りなど安全確保のため
係員などは相当苦労されたようです。
※後に飛び乗りなど防止の為、ステップは撤去されました。

向ヶ丘遊園駅前に車庫があった頃の豆電車。
後ろに小田急線の架線柱が写っている。
後に駅前広場造成に伴って取り壊されてしまいました。
場所は現在の向ヶ丘遊園南口駅前のある「小田急マルシェ向ヶ丘2」あたり。

豆電車の車庫が、現在の正門前に移設する前の昭和37年頃までは
この赤線のように軌道がありました。

豆電車のりば(小田急線向ヶ丘遊園駅前)

豆電車料金表
現在では考えられない料金設定ですね。

昭和30年代後半の小田急向ヶ丘遊園駅。
現在でも当時の跨線橋が使用されていますので是非観察してみてください。

昭和30年代に既にドナルドが遊園まで進出してきていたとは…

豆電車のりばに設置されていた園内図。

位置的にはダイエーの脇あたりだと思われます。

周辺の開発が進み、道路改良工事と二ヶ領用水の改修工事の為
昭和40年秋、豆電車は廃止。
戦前からの戦時中の休止期間を含め38年の歴史に終止符を打ちました。

その後、「豆電車」は幸いにも奇跡の転職を為し遂げました・・・

「向ヶ丘遊園正門」までの輸送業務を退役した「豆電車」は、2年半後の昭和42年4月に遊器具として
第二の人生を歩み始めました。

写真のとおり、ボート池を一周する遊器具に転用されたのです。
そうです、あのフラワートレインの初代が「豆電車」なのです。

フラワートレインの横の建物、ここに「豆電車」が、現役を退いた後、静かに余生を過ごした場所です。

ボート池を周遊しながら、池沿いにトンネルを抜けて暫く進むと左に大きくカーブになります。
その右に引込み線が倉庫に向けられて延びていました。

これは、一部の関係者しか知らなかった事ですが、昭和57年に退役してから、閉園までの20年間、
処分されることも無く静かに収められていました。

埃はかぶっていますが今にも走りだしそうな綺麗な状態で保管してありました。

端の方には使用済み?のバッテリーも置かれていました。

この車庫ですが、大変古い建物で
豆電車が(遊園正門‐向ヶ丘遊園駅)間を走っていた時代から
車庫として使われていたのを豆電車廃止後に
車輛と共に園内に移設したものだと思われます。

こちらが園外で使用されていた時の貴重な写真です。
柱の造りを見ていただければ同じ建造物とわかると思います。
園内に移設された際に横幅は少し縮小されたようです。

現役時代(正門‐向ヶ丘遊園駅)この車庫がどの位置に建てられていたかが
定かではないので記憶に残っている方がいましたらご一報頂けたらと思います。

※2024年2月更新

防衛大博覧会の資料を見返していたら、この車庫の謎が解けました。
当時の案内図に豆電車の車庫が歩道橋を渡って直ぐ右手に描かれていました。

当時の航空写真

この妙に空いている土地こそが豆電車の車庫があった場所です。
この一角のみポールで境界がされており、ブロックが綺麗に敷かれています。
もしかしたらまだ小田急の土地なのかもしれません。

半世紀もの間、遊園を見守り続けてきた豆電車ですが
ついにその遊園ともお別れの時がやってきたようです。
外部機関に輸送するため車庫から外に出された時の写真になります。
なんだかとても悲しげな顔をしているように見えるのは私だけでしょうか…

「豆電車」
昭和25年3月25日 デビュー
昭和42年4月 ボート池に移動
昭和57年3月 現役を引退、倉庫へ
平成14年3月 遊園閉園、その後「けいてつ協会」へ
平成15年7月22日 一般公開
現在、あしおトロッコ館にて保存

豆電車は2輌存在した!?

紹介してきた記事を見られてお気づきになった方もいらっしゃると思いますが
そう、豆電車は2輌存在したのです。

「東芝製」と「日立製」があり、設計はほぼ同じで
違うところと言えば
・車輛銘板
・サスペンション側面のカバー
ぐらいでした。
「日立製」は戦後の復興で遊園への来園者が増えてゆく中
輸送力強化に対応するため、昭和28年に増備されたそうです。


「東芝製」は豆電車廃止後も園内で活躍し
引退後は園内の車庫で遊園を閉園最後まで見届けることができました。

ですが...
「日立製」の豆電車については
豆電車廃止の際に、廃車になったそうです...

「東芝製」の豆電車(園内豆電車車庫前にて)
サスペンションカバーが付いていますが開業時にはついてなく
途中で改造されたものかと思います。

「日立製」の豆電車(向ヶ丘遊園駅前にて)

豆電車のデザイン

その時、その時の時代が変わりゆく中で、豆電車のデザインも変わっていきました。
そんな豆電車のカラーチェンジについて取り上げていきます。

登場当時は
・中央のラインが赤、それをなぞってる細いラインが白
・中央のラインより四方は黄色
・上部は灰色と愛嬌のあるデザインでした。

後期には前照灯(ライト)も車両の鼻先に埋め込まれ一体感があるデザインに!
前方には排障器を装備。
呼びかけ用のスピーカーや警笛ホイッスルも上部に追加され、より実用的になりました。

カラーは変わりませんが、ライン部に「小田急向ケ丘遊園」と追加され、宣伝も兼ね備えました。

豆電車廃止後、園内の遊戯物として運用されたので
子供向けの可愛らしいデザインに変更されました。

お次は斬新な水色ベースに変更されました。

その後の塗装はロマンスカーを彷彿させるデザインになりました。
フラワートレインにバトンタッチするまで、このカラーで最後まで走り抜けました。

現在の豆電車

2021年8月
あしおトロッコ館(足尾歴史館)に行ってまいりました。
「豆電車」とは20年ぶりの再会なので
道中、少し緊張しながら向かいます。

まずは、フラワートレインの客車がお出迎え。
色や幌は変更されていますが当時の遊園での記憶がフラッシュバックしてきます。

「御注意」のシールは当時のままです。

当時の写真。

ついにご対面です!
シートをかぶっていますが
間違いなく、あの「豆電車」です。

塗装が剥がれたことで昭和25年開業当時の黄色の塗装が
顔を見せています。
写真でしか見たことがなかったので
とても貴重な資料ですね。

建物内には豆電車の模型も展示してありました。(スケール 1/13.6)
細部にわたり、正確に作ってありました。