ウォーターシュート・ケーブルカーのデビュー!

昭和27年、向ヶ丘遊園に名遊戯機「ウォーターシュート」と「空中ケーブルカー」がデビューしました。
そして、この年から「遊園」は、入園料の有料化への道を歩み始めます。

ウォーターシュート(昭和27年3月設置)
東洋娯楽機(株)製

遊園の長い歴史の中で「ベスト1」と言うべき幻の遊戯機が、この「ウォーターシュート」です。
(昔のことで、当然のことながら、私も乗ったことがありませんが・・・)

「亀の子山」の山頂から、下の池に向って45度の角度で「20人乗の木造船」が滑って急降下し、池に着水する遊戯機でした。

「亀の子山」とは、観覧車の在った小高い山で「下の池」は、メリーフラワー(回転木馬)の位置あたりにありました。

この「ウォーターシュート」の大人気の秘密は、
滑り降りる船の舳先(へさき)に乗っている「船頭」が着水と同時に大きくジャンプし、
元の舳先の位置に着地するという豪快な乗り物だったからです。

船頭は、その着地の呼吸がとても難しく、たまに失敗をし、池に落ちてしまうことがあったようです。
船頭役は、若い従業員の方々が交代で務めていたと聞いていますが、
池落下の経験が無い船頭はいなかったという、何とも従業員泣かせの遊戯機でした。

池は、元々は湿地帯でした。
それを造成加工し完成させた人工池のため、水深は浅く、底は赤土質の泥土であり、落下してしまった
船頭が池から這い上がる時に、泥に脚がとられ運動靴が脱げてしまったり、
泥にぬれたズボンやシャツなどは洗っても綺麗にならず、大変苦労したアトラクションでした。

上の写真、見事なジャンプ!
従業員の方々が体を張って魅せた最高のパフォーマンスですね。

船の乗客は、45度の傾斜を滑り降りるスリル・着水・船頭のジャンプを楽しみ、
池の周りの観衆は、船頭のジャンプがうまくいくかどうかの興味を楽しんでいました。
(私が当時に見てたとしても、悪いとは思いますが・・・船頭が失敗し、池に落ちることを期待しながら、
見事なジャンプの見学を楽しんだことでしょう。船頭さん、ごめんなさい)

それにしても誰がこの鬼のようなアトラクションを思いついたのでしょうか?
「体操ニッポン」の原点は、ここにあったのかもしれませんね。

この「ウォーターシュート」は、後に完全に機械化した「サンダーシュート」に変更され、船頭のパフォーマンスも姿を消しました。

左の写真が昭和40年撮影の完全機械化された「水上コースター」です。

「ウォーターシュート」と比べ、とても近代化された遊戯機ですね。
上の写真と比べて見ると場所、同じ所だと確認できます。
大きく違うのは、滑り降りる「傾斜角度」と「傾斜距離」でしょうか。
「ウォーターシュート」では45度あったの傾斜角度が大幅に緩くなっています。
また、傾斜距離も短くなったように見えますね。

これでは、刺激が不足です。
そう感じることができる程、「ウォーターシュート」は
超過激な乗り物だったことが想像できます。

空中ケーブルカー(昭和26年7月設置)

遊戯機とは、ちょっと違いますが、「正門」から園内中央の山頂広場まで、来園者を輸送した「空中ケーブルカー」です。

工費約1000万円
ワールドレオナード式
三線交走式
高低差50メートル
延長245メートル
走行時間約3分
定員大人単位13人(子供単位だと25人)

この空中ケーブルカーが架設された昭和26年当時には、関東の遊園地では初めてのケーブルカーでした。

遠くには、多摩川の清流や新宿方面の展望が大変素晴らしく、人気は凄かったようです。

(下の写真、緑が多く自然が感じられ、とてもいい
ですね。高層ビルも見えません・・・当然です!)

人気の「空中ケーブルカー」も16年半の月日を経て老朽化のため、昭和42年末を持って撤去され、その長い役目を終えました。

その後の輸送手段は、翌年3月に完成するリフト(フラワーリフト)に代わることになります。

「空中ケーブルカー開通当時の乗車券」