2024年遊園探索レポート(令和6年2月)

東門より
防音シートが張られている。

「豆電車」の車庫跡。

「事業計画の構想の概要」
着手予定日、完了日共に検討中のまま。

ゲームセンター跡裏手より、東門方面を望む。

「ディオス」へ向かう為の渡り階段跡。
奥には「チェーンタワー」「メリーカップ」があった。

左手の防音シートの奥を見ると、数年前まであった「アドベンチャーコースター」の
基礎がなくなっているのがわかる。
土の表面に草も無いことから、おそらく最近解体されたものと思われる。
防音シートもこの為のものだろう。

バッテリーカー乗り場の基礎。

かつて、このあたりに「ディオス」の乗り場があった。

閉園前の様子。

「回転ボート」跡。

左:「回転ボート」
右:「ふしぎな森の大冒険」

「ディオス」側のトイレ跡。

正門側に移動し、「ドラえもんミュージアム」
この正面の桜の木についてですが
昔、豆汽車、豆電車が走っていた時代には二ヶ領用水沿いに桜並木がありました。
その後、モノレールが建設され、数本を残してほとんどの桜は撤去され
またその後に行われた河川工事で、この一本以外は全て撤去されてしまいました。

当時の桜並木を走る豆電車。

「花の大階段」

正門の資材置き場には撤去して間もないレールが!
鉄道資料館脇に保存されていた「ED1011」電気機関車の下に敷かれていたレールかと思いましたが
それにしては量が少ない気が…

正門脇のプランターには
懐かしい「メローイエロー」

トイレは当時と変わらず健在。

プール側の斜面一体が伐採されていました。
写真中央左寄りに黒いシートが敷いてありますが
ここには戦時中に掘られた200m級の巨大な壕が眠っています。
規模的にはかなりの大きさで、長さも「フラワーステージ」下まであり
普通の防空壕とは規格外れの規模。
壕内部には試験管などもあることから、川崎市内に現存する豪の中でも
戦時中の極秘開発(生物兵器)や疎開工場目的で作られたのではないかと思われます。

※当時の事を知っている方がいらっしゃいましたら一報頂きたいです。

赤枠内に点線で豪が描かれている。

正門前の歩道ににて
木製の電柱跡が今も残っている。

モノレール跡を辿っていくと、「しんかい橋」がある。
上物の桁は、現代のものだが、河川の片側のみ
古い石積みの橋台が残っている。

モノレールはかつて府中街道と立体交差していた。

モノレール撤去前。

♯39の橋脚の跡地にはモノレールの橋脚を模したモニュメントが設置されている。

昔から営業している駄菓子屋。

ダイエー跡はショッピングモールとマンションが完成していた。

かつてボーリング場があった「中和ビル」
再開を願っています。

この町から「向ヶ丘遊園」「モノレール」が消え、もうすぐ22年が経ち
街並みもずいぶんと変わりました。
その中で当時の記憶のせいもありますが、子供の姿が少ないように感じました。
また遊園があった頃のように子供達が戻って来れるような街づくりを心から願っています。